メロンパンは美味い

FOEのアピアランスSEよりも目覚まし時計のアラームが怖くなってきた今日この頃。

6/11

今でもたまに思い出す、忘れられないあの10日間。(青春小説ですかね

そのうち忘れそうなので書いとかなきゃと前々から思ってたや

2/9 私立の受験、くそ寒かった。朝ぶるっぶる震えた。数学むずかった。

いくらA判以外取った事なくてもセンターで受かってたしらくしょっしょって思ってたら落ちた。圧倒的草である。馬鹿ぁ。

2/16私立の受験

第二志望。丁度せーり終わりのメンタル好調なサイクルの日の始まりくらいの日だった。2/16-2/26あたりに周期が来てくれたのは本当幸運だった。ありがとう俺の子宮。

一限の数学で目標としていた6割を取れた。見直しをしたときに一問解き忘れていた事に気づき、書く事ができた。ナイス俺。

昼休みに母にlineした。メンタルは上々だった。

二限物化。くそムズだった。落ちた気がするわ。まぁ英語で頑張ろうと。

三限英語。そして私は気が付いた。物化のマークシートに名前を書き忘れていた事。

いやまじ焦ったね??英語序盤めっちゃ泣いたよ??しかも英語始める4分前くらいだったからね、英語の解答用紙見つめたまま動く事も許されないじゃないか。事前に番号マークされてたから大丈夫…えっでも英語の時間に「マークにも名前書いてね」って言われてるんですけど…??今なんて言いましたあなた…?って感じだぁ。

そして帰りの電車二時間弱ずっと泣いてた。ソシャゲの石を砕きながら泣いてた。最寄りから家までの車でも泣いた。帰宅後リビングでぶっ倒れて泣いた。そしてそのあとググったらマークは名前書いてなくても大丈夫だった。なんやねん。

 

2/22 16日の結果が出た。落ちてた。自分でもまぁそうか、ぐらいではあったがそれ以上に心配だったのがこの後の三つ全部落ちたらという事。センターで合格はしてたけどもし後ろの私立国立が落ちていたら、それはまるまる二次の勉強が無駄になったという事である。この一年両親が出してくれた塾代も、先生が辛抱強く自分に向き合ってくれたその時間も、泡だ。むろんセンターを独力で突破できたかと言われれば微妙なのだが、それにかかった先生の力は10%あるかないかではないか。

そんな事を考えていて、落ちた事自体はそんなに悲しくはないのにずっと泣いていた。あの頃一月下旬ー二月上旬は、二日にいっぺんは泣いていた。

 

2/25 第一志望のところへ移動。ついにこの日が来てしまったのだと感慨深かった。一年前はとても考えられなかったような場所である。あのすんごいおじい様の母校である。高2の秋に行ったっきりの場所。先生だって「浪人しなきゃ無理だ」といっていた。…そうだ、先生は、僕に最初に志望校を聞いたあとしばらく、ずっとそう思っていた。「最初は絶対現役は無理だと思っていたけど言わなかった。まさかここまでくるとは」と言われた。そうだ。

新幹線の途中駅でちょくちょく受験生を見かけた。

学校に着いた。でかい。試験場所の確認。

不思議な空気だった。白かった。

25,26,27に共通して言える事だった。白かった。別世界にいた。白…ではない、文字化してはいけない気がしてきた。